柳橋はその傲慢にも見えるような目つきのわりに、僕の肩に優しく触れた。
 ここはどこの町なのか僕には分からないけれど、柳橋が連れてきてくれたので何も警戒せずに来てしまった。
 警戒、せずに。
 それでよかったのだろうか。僕にも良く分からない。
 ただ、明日は仕事があるから帰れないようなところじゃ困る、と言うと、お前の会社のそばだよ、と言われた。
 僕の会社のそばに、こんな外国映画に出てきそうなフラットがあったのか。
 玄関を入ってすぐ、ガランと広い部屋が広がった。天井からは昔の扇風機がぶらさがっている。うわん、と広がる黄ばんだ白色の三枚羽。
 とりあえず、それに驚いた。
「ここに座れよ」
 柳橋が黒い皮のソファを示す。
 柳橋の家にあるものはほとんどが黒く、冷蔵庫やパソコンのような機械類だけが白い。完全なモノトーンの世界で、インテリアなどに興味のない僕には妙に洗練された空間のような気がした。僕の部屋は色柄など対して気にしない家具で溢れているのだから。
「ここ、柳橋の家だろ?」
「まあな」
「まあな、って。変な言い方だな」
 柳橋が僕にくれたのはモンブランビールだった。モノトーンの世界にやっと現われたカラフルなラベルの茶色い瓶。
「たまにここにいる。他のところにも住む」
「へえ……リッチだな」
「そういう問題か」
 鼻で笑ってから僕の隣に座った柳橋は、ギネスビールを持っていた。
 また、黒だ。
 彼ほど黒の似合う人間を見たことがないから、黒いギネスビールも似合うのだけれど、ここまで徹底しているとある種の皮肉のようなものを感じずにはいられない。
 僕は思わず苦笑した。
「何かおかしいか?」
「柳橋は黒ばっかりだ」
「黒が好き…、というわけじゃないが。落ち着くんだ」
「へえ。僕も嫌いじゃないけど」
 モンブランビールは僕の好きなビールのうちの一つだ。さすがにフランス産のビールなだけある。芳醇な香りと甘味、柑橘系の後味が喉をくすぐるのだ。
「奥村は、モンブランが好きだったよな」
 喉を過ぎた甘さを楽しんでいると、柳橋が言った。
「なんで知ってる?」
「覚えてるだけだ」
「へ? 覚えてるって……」
「大学の時の飲み会で、そう言ってただろう」
 大学の時の飲み会って、あの時だろうか。
 そうに違いない。柳橋との接点はあの一回だけなのだ。しかし、あれからもう二年は過ぎているし、僕だってあの時の自分の言動などまるで覚えていないのに。
「記憶力が違うって言っただろ? お望みならあの時のお前の服装だって思い出せる」
「ほんとか? すごいな」
 本当にすごいと思った。
 柳橋は格好が良くて、スタイルが良くて、頭もいい。いや、天才なのだ。完璧なやつだけれど、嫌味がない。理想的じゃないか。そんなすごい奴と今ここにいることが信じられないぐらいだ。
 興奮気味に彼を褒め称えた僕を、柳橋は一瞬驚いた目で見つめて、くつくつと喉の奥で笑い出した。
「何で笑うんだよ」
「だってお前……普通こんな話を聞いたら、嘘だろ、って言うだろ。本当か? なんて聞いた奴は初めてだよ」
 お前にはかなわないよ、と柳橋は笑いつづけた。
 僕が柳橋よりも秀でている場所なんて想像もつかないので、きっとバカにされているのだろう。
 けれど、楽しそうに笑う柳橋の顔がとても気に入ったので、僕は文句を言うのをやめた。柳橋が楽しいならそれでいい。僕はそれを見れるだけでいい。

「なあ奥村」
 ひとしきり笑った柳橋が、僕を見つめた。
 僕も彼の目をじっと見つめると、真っ黒な瞳は飢えている色を浮かべている。
 柳橋の獣のような気配を感じ取るが、僕は恐くはなかった。柳橋を恐いなど、思ったこともない。ただずっと心のどこかで惹かれていただけだ。
「あの、サ行の発音に少し特徴があって語尾は息を軽く抜くような発音をする、メゾソプラノの声の女とのことを話せよ」
 思わず声を失った。
 あの時別れた彼女は確かにそんな感じの特徴のある声で、柳橋がどこかで僕らの声を正確に聞いていたということを証明する材料になった。
「何、ボケた顔してる」
「……いちいちうるさいなぁ……。そうだな、僕は彼女と3ヶ月ぐらい付き合ったんだけど」
 別に特別なことは何もなかった。
 最初に食事に行って、映画を見て、お互いの家でのんびりしながらセックスをして、買い物もしたし、ディズニーランドにも行った。
 ごく普通の、3ヶ月の付き合いでこなせる内容だ。
「つまんねーな」
 ごく普通の内容を、柳橋はそう切って捨てた。
「うん」
 それ以外に返しようもない。
「で、どんなセックスした?」
「……や、やだよ。なんでそこまで話す必要があるんだよ」
「教えろ」
「なんで」
「いつも商売の女しか相手にできないからな。普通の女はどんなセックスするんだよ」
「なんだよそれ」
「俺が知りえないことを奥村はたくさん知っている。うらやましいんだ」
 柳橋にうらやましがられてしまった。
 僕はなんだか妙に照れながらも、普通のセックスだと言った。
 彼女とセックスをしたのは一ヶ月前が最後だ。僕はあまり性欲が強くないらしい。この一ヶ月間自慰すらしていないことを思い出す。
「普通? 正常位ってことか」
「うん」
「俺とは色々やろうな」
 にやり、と柳橋の口元が引っ張り上げられる。
「え」
「ベッド行くぞ」
 僕の肩を強く抱き寄せ、柳橋の声が耳をくすぐった。その唇が掠めるように耳たぶに触れた時、僕の身体が熱くなるのを感じた。
 落ち着け、彼は男だ。
 男なのに、そんなことは分かっているのに、なぜ僕は今まで付き合ってきた女の子には感じたことがないほど、強く欲情してしまっているのだろう。
「ほら」
「あ…」
 右手は僕の肩を、左手は僕の腰を。柳橋の手ががっちりと捕えている。思わず漏れてしまった変な声に、柳橋は嬉しそうだった。
「俺は、俺の存在を毎朝消してしまうこの世との繋がりが欲しいんだ……」
 一瞬切なそうに歪められた表情。
 それを見てしまった僕には、身体を預ける以外にとれる行動などなかった。


 僕の口腔を熱い舌が動き回る。巧みに動く舌に僕も舌を絡めて、女の子たちからは得ることが出来なかった力強い快感で頭がとろけそうになる。
 手のひらがYシャツ越しに伝える熱が心地よくて、僕は無意識に彼の身体に擦り寄ってしまっていた。
 彼の熱は信じられないぐらい心地よい。
 僕の服を脱がす前に上半身裸になった柳橋の、その引き締まった身体が羨ましくて仕方ない。どんなにプロテインを飲んでも筋肉がつかない僕は、悔しさも込めて柳橋の二の腕を強く掴んだ。
 う、とうめく声が聞こえる。
「ふぅ……ん」
 眉をひそめたところを見れたのがなんだか嬉しくて、笑おうとしたら再び口をふさがれてしまった。そんなじゃれあうような愛撫の連続が楽しい。
 どこもかしこも熱い柳橋の身体の中で、少しだけ温度の低い二の腕を暖めるようになぜていると、柳橋が声を出さずに笑った。
「んっ……な、に……?」
 口を離して見上げると、互いの口から唾液が一筋流れて繋がる。
 それを柳橋は軽いキスで吸い上げて、もう一度僕の顔を見た。
「お前が俺を覚えていて、俺がお前を覚えていたのは運命かもな」
 この世に嫌われたのに、この世の仕組みの中には組み込まれているのか。
 柳橋はそう言って笑いながら僕のYシャツのボタンを外し始める。


 さっきも言ったけれど、僕は性欲が強い方ではない。したがって、身体もあまり敏感ではないと思っていた。
 だから今まで脇腹をくすぐられても、女の子達からいたずらのように乳首をいじられても、身を捩ったりすることはなかった。
 けれど。
「あ…ぁ……っ」
 柳橋の唇が僕の乳首をついばんだ。 
 その瞬間爪先から電流が駆け上って、僕の身体を貫いた気がした。
 気持ちいいのと痛いのとが混在するような、不思議な感覚。
 これは一体どういうことだ?
 柳橋はついばんだり舌でなぶったりして、僕の嬌声を聞いている。手のひらはまさぐるようにしてどんどんと下へ下がっていき、いつしか僕は彼のベッドの上で本格的に組み敷かれていた。
「奥村、俺の名前は?」
 さすがに彼が僕の両足の間に入ろうとしたときはかすかな抵抗を見せた。見せたが、内腿を指先でついとくすぐられると、開かずにはいられなかった。
「やな、はっ……しっ……」
 その言葉を合図に、彼は僕の半勃ちになったものを咥えた。
「う、わぁっ」
 こういう行為は女の子がたまにしてくれた。だから驚かないけれど、どうしてこんなに気持ちいいのか、ということに驚いた。柳橋はもしかしたら驚くほどセックスの上手い人間なのかもしれない。
 彼は人の記憶に残れないという。
 一晩過ぎれば、いなかった存在になるのだという。
 だから、他の人間と比べて一日の重みがまるで違うのかもしれない。
 彼の眼も、声も、仕草も、足取りも、全てが映画の中の、誰もが憧れずにいられない俳優の動きのように整っている。彼の食事をする姿や生活の全ても、そしてセックスも。
 だから、彼の熱はこんなにも熱くて心地いいのだろう。
「や、ぅ、ぁっ……っ……や…な……ぁ、んっ…」
「達っていいぞ」
「やなはし、っ」
 彼の唇が僕を強く扱くと、呆気なく精が放たれた。

 全身は未だ熱を湛えたまま、軽い弛緩に僕はたゆたう。
 そんな僕をつなぎ止めるかのように、柳橋が抱きしめた。
「奥村…」
「ん…」
「挿れる、ぞ?」
 挿れるぞ、と言いきりたかったのだろうが、さすがに僕に問い掛けるように語尾があがった。そんな柳橋の小さな気遣いがやけに嬉しい。
「いいよ」
 僕は男とセックスをしたことがなかったが、柳橋とのセックスは気持ちがいいし、男同士がどこを使うのかぐらいは知っている。
「痛いかもしれない」
 そう言って、僕の耳に舌をいれた。
 その舌の感触と舌が伝える唾液の音が僕の身体を更に熱くする。
「あ…ぅんっ」
「でも俺はお前に挿れたい」
「んっ、やなはし…っ」
「うん?」
 耳殻を唾液が伝う。
 それがくすぐったくて身を捩ると、柳橋は反対側の耳たぶをかじって、僕の身体をもとの位置に戻した。
「僕も、お前は嫌だってば。ちゃんと……」
「奥村」
 低くて腹の底に響くような声が、僕の名前を呼ぶ。それだけで幸せな気分になってしまった。
「いいよ。痛くても。柳橋は僕を気持ちよくしてくれたから、少しぐらい我慢する」
「力抜け」
 そう言うと柳橋は僕の身体を裏返した。

 枕に顔を埋めて、後ろを舐める音に対する羞恥心を堪える。
 どこを使うのかは知っていても、やはり恥ずかしい。誰かに尻の穴をこんなに真剣に見られる日が来るなんて思ってもいなかったから、尻の穴なんて今まで適当に考えていた。
 こんなことされるのは初めてだけれど、問題は出入りする柳橋の舌に感じてしまっていることだろう。
「あ、や、あ……んっ」
 これは僕の声じゃない。
 そう言い聞かせる。欺瞞なのは分かっている。
「びっくりしても、力入れるなよ。強張った方がずっと辛い」
 僕の尻にキスをした柳橋が、そう言って離れた。
 身体のすぐそばにあった体温が遠のいて、少し不安になる。けれど次の瞬間、今まで舌があった場所に指が入ってきた。
「え、あ……の……」
「少し待てば気持ちよくなるから」
 静かな声で柳橋がそう言った。
 再開してからずっと変わらない落ち着いた声のどこかに欲望が滲んでいて、僕はぞくりと身体を震わせた。従わずにはいられないような、その声も彼特有のものなのだろう。
 柳橋を信じて体を無理矢理楽にさせると、指が僕の身体の奥をまさぐりはじめた。
 なんだかぞわぞわするような気もしたが、気持ちよくないこともない。
 そんな風に楽に構えていると、甘い熱が体をはしった。
「あああっ」
 低い位置で漂っていた快感が、急に引っ張り上げられた驚きにすごい声が出てしまう。
「そこか」
「え? うん……あっん…」
 何が、と問う間もなく柳橋がそこを攻めるので、僕はわけも分からず頷いていた。これがいけないのだと何度も何度も自分に言い聞かせたのだが、やはり僕は「うん」と言ってしまうようだ。

 身体の中をまさぐられる快感に溺れていて、気付くと熱いものが入り口をこすっていた。
「もう大丈夫そうだな」
 そう言って、ぼんやりと彼を見上げた僕に笑いかけ、ひどく自然な動作で僕に押し入ってきた。
「や、ああああっ」
 ものすごい圧迫感に、叫んでしまった。嬌声などというものではない。叫び、だ。今日あげた声の中で、きっと一番色気がない。
「きつい」
 柳橋の声はまだまだ冷静で、なんだか悔しい。
 悔しいので、自分で腰を揺すって彼を迎え入れようとすると、彼は笑った。
 声は出てないが身体伝いに感じた。
「張り合うなよ」
「だって……んっ……あっ」
「張り合わなくても奥村の勝ちだ。俺はそろそろお前の身体を気遣う余裕がなくなってきた」
「僕はもうとっくにっ……柳橋のせいで……っんん……」
 余裕なんてあるもんか。そう思って更に腰を振った。なりふりなんかかまったものではなかった。
 共同作業で全部埋め込むと、二人同時にため息をついた。
 そのため息は安堵が色濃くて、セックスをしているということを忘れそうになる。
「奥村」
「あ……ん」
「奥村」
 ゆっくりと抜き差しをはじめた柳橋に、答えたくても答えられない。
 僕も彼の名前を呼びたいのに。
「奥村」
 彼の胸が僕の背中に張り付く。
 熱い。熱い。熱い。 
 熱くて、全身が燃えそうだ。
「ああっ…や、っやなっ……はし」
「う、ん」
「柳橋、柳橋……っやなはしっ!」
 僕の声に答えるようにして、彼の抜き差しのスピードが速くなる。何かにつかまっていないとこぼれ落ちてしまいそうで、僕は彼の名前を何度も呼んだ。
 
 何時、何度、僕と彼が達したのか。
 記憶がふっとんでしまっている。それほどに気持ちよくて、何かがひどく満たされた。
  
 
 
 まどろみから僕を引きずりあげたのは、眩しい光と誰かの手だった。
「…ぅうん」
 頬をつねる手がうっとおしい。
 けれど、そういえば今日も会社だ。
 そう思ってぱっちり目をあけると、そこには柳橋がいた。
 半裸の柳橋がどこか不安そうに僕を覗き込んでいる。
 ばかだな。僕は忘れないって言ったのに。
「おはよう柳橋」
 微笑みながらそう言うと、柳橋は僕をきつく抱きしめた。
 身体のあちこちが痛いのに、こんなにきつく抱きしめられたらもっと痛む。そう思って逃れようとしたけれど、柳橋の肌が心地よかったので結局擦り寄ってしまった。
「……お前、本当なんだな」
「お前じゃない」
「奥村が俺を覚えていた」
「うん」
「会社に行くなよ」
「すぐ帰ってくるよ。一日ぐらいどうってことないだろ?」
「俺は誰かを待ったことなんて一度もない」
 憮然と柳橋は言う。
 それもそうだ。待ったことはなかったのだろう、意識的には。
 でも彼はずっと待っていたはずだ。誰かがおはよう、と言ってくれるのを。ただいま、と言ってくれるのを。
「夜には、ちゃんと柳橋にただいまを言うから」
 そう言って彼の背中をなでると、優しいキスがこめかみに落ちた。


 僕はどこかが違うらしい。
 それが柳橋のそばにいられることを指すのならば、どこか違うことをもう気にしないことにする。



<FIN>




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